(2021年3月23日更新)
私たちは幸せになるために生まれてきました。
日本国憲法もすべての人の幸せを保障しています。
しかし、私たちが暮らすこの社会には、幸せを妨げる様々な生活課題が存在しています。
人権問題もその一つであり、一日も早く解決しなければいけません。
私たちの身近な人権問題をショートストーリーで紹介します。
どうぞ、ご覧ください。(手話通訳あり)
※耳が不自由な方へ、字幕を作成しています。動画再生後、「字幕」メニューで表示させてください。パソコンでご覧の方は、キーボードの「C(シー)」を押すだけでも表示の切替ができます。
月刊じんけんかわらばん 令和3年3月号「同和問題って、なに?」
チョーサンヤ アラヨーイトナ
カーマエロ カーマエロ
ヤー
キーワエンカ
私のふるさと「伊万里」にはトンテントンという秋祭りがあります。
トン・テン・トン、打ち鳴らす太鼓の音を合図に、二台の神輿がぶつかり合う、勇壮な喧嘩祭りです。
太鼓の音が聞こえてくると、伊万里っ子の血が騒ぎだします。
伊万里に生まれて本当に良かった。
伊万里で育ったことを誇りにさえ思います。
ですが、私は、伊万里を選んで生まれてきたわけではありません。
そんなことができるわけがありません。
あ~ぁ、あたりまえの話です。
それなのに、私たちが暮らすこの社会には、この「あたりまえ」のことを口実にした、とんでもない「いいがかり」があります。
生まれた場所や、育った場所、住んでいた場所
いわゆる「住所」で人の値うちに差をつけるいいがかり「部落差別」です。
部落差別は人生を奪います。
例えば、優れた能力がありながら、就きたい職業に就かせなかったり。
世間体を気にする周囲によって、愛を引き裂かれたり。
部落差別によって引き起こされる様々な人権侵害行為は「同和問題」と呼ばれ、人権の世紀と期待された21世紀においてもなお、最も深刻にして重大な社会問題のままなのです。
「同和問題」を考えるうえで大切なこと、それは日本固有の人権問題だということです。
言うなれば、日本人だけが持つ差別意識
つまり「同和問題」は、日本人の差別意識の「根っこ」こう申し上げることができるのです。
ソモサンセッパ!
「抜本的」という言葉があります。
「抜本的な改革を行う」このように使われるわけですがこの言葉の意味、果たしてご存知でしょうか?
ひもときますと、この言葉
物事の「ねもと」にある原因を引き「抜」く、そういう意味でございます。
つまり、「根っこ」を治療しないと問題の本質は解決しない
こういうことになるわけでございます。
さあ、おわかりいただけましたでしょうか?
日本人の差別意識の根っこである「同和問題」
この同和問題の解決なくして、日本における人権問題の解決はあり得ない
抜本的にそうにらんでいるわけでございます。
「人として これでいいのかと考える 心のモノサシ 人権感覚」
この続きは、いつか、また申し上げることといたしまして「じんけん かわらばん3月号」これにて読み終わりでございます。