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銭亀古墳出土遺物


銭亀古墳出土遺物
(2008年6月10日更新)
市指定重要文化財 考古資料
銭亀古墳出土遺物
(ぜにがめ こふん しゅつどいぶつ)

松島町73番地1 歴史民俗資料館(伊万里駅より徒歩15分)
昭和48年(1973)7月20日指定

装身具(勾玉・管玉など)

 銭亀古墳は、東山代町の日尾(ひお)丘陵の東斜面の標高16mの場所にありました。直径15mほどの円墳(えんぷん)で、内部主体は横穴式石室(よこあなしきせきしつ)で墳丘の裾には列石(れっせき)がありました。
 銭亀古墳出土遺物は、昭和46年(1971)5月に行われた日尾工業団地造成に伴う事前の緊急調査で出土したものです。
 玄室(げんしつ)や羨道(せんどう…玄室への通路)、列石周辺からさまざまな遺物が出土しました。玄室からは翡翠製勾玉(ひすいせいまがたま)1点、メノウ製勾玉1点、碧玉製勾玉(へきぎょくせい)1点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点、ガラス小玉(こだま)23点、丸玉(まるだま)2点、水晶製切子玉(すいしょうせいきりこだま)6点、金銅製(こんどうせい)の耳環(じかん)1点、銀製の耳環2点、青銅製の腕輪2点のほか、鉄鏃(てつぞく)10点、鉄刀(てっとう)1点、刀子(とうす)2点などの武具が出土しました。 耳環の数から2人以上が葬られていたと思われます。
 また羨道や列石からは、須恵器(すえき)の坏(つき)25点、平瓶(ひらべい)1点、大型甕1点、土師器(はじき)の高台付短頸壺(こうだいつきたんけいつぼ)1点などの容器類が出土しています。大型甕や坏などは、墓前祭祀に使用したもので、祭祀の後は人為的に割られていました。
 古墳の構造や出土遺物などから、6世紀末頃に築かれた古墳と考えられます。銭亀古墳自体は開発によって消滅しましたが、出土遺物は伊万里地方の古墳文化を知る上で貴重な資料です。

※見学のお問い合わせは歴史民俗資料館TEL0955-22-7107まで。