(2009年10月8日更新)
(むくろじこふん しゅつど さんかくぶちさんしんさんじゅうきょう・てっけん・てっとう)
松島町73番地1 歴史民俗資料館(伊万里駅より徒歩15分)
昭和58年(1983)3月22日指定
杢路寺古墳は二里町字杢路寺に所在する前方後円墳です。現在は前方部(ぜんぽうぶ)の一部しか残っていません。出土遺物は昭和27年(1952)の土砂採取中に、杢路寺古墳の後円部(こうえんぶ)で見つかりました。礫(れき)敷きの棺床(かんしょう)から、青銅鏡(せいどうきょう)1面、鉄剣(てっけん)5点、鉄刀(てっとう)2点の副葬品が見つかりました。これらの遺物は4世紀末頃のものと思われます。
鏡は直径22.3cmです。中国鏡を模してつくられた日本製の鏡とされています。鏡背(きょうはい)の文様は中国古代の神仙思想(しんせんしそう)に基づくもので、内側には結節文鈕座(けっせつもんちゅうざ)を中心に6個の乳(にゅう)で区分された区画に、神像(しんぞう…仙人)3、神獣(しんじゅう… 白虎)3が交互に配されています。
また鋸歯文様(きょしもんよう)を隔てて外側に獣文帯(じゅうもんたい)に走獣(そうじゅう)と双魚(そうぎょ)が10個の小乳間(しょうにゅうかん)に交互に配され、さらにその外側に櫛歯文帯(くしはもんたい)、鋸歯文様、複波文帯(ふくはもんたい)、櫛歯文帯がめぐります。縁の断面が三角形なので、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)という種類に分類されます。
三角縁神獣鏡は、大和政権に関わりが深い王たちに配られた鏡とされており、4世紀末頃の伊万里地方に大和と関わりのある王がいた証拠です。
※見学のお問い合わせは歴史民俗資料館TEL0955-22-7107まで。